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あれから9年
2006-10-01 Sun 01:55

1997年9月30日22時45分



EF63 19号機と3号機にサポートされた下り最終列車、
あさま37号が横川駅から軽井沢駅へ出発。

上り営業列車は既に終了しており、
23時55分到着の重連回送をもって
碓氷峠こと、横川-軽井沢間は廃止された。



もうあれから9年も経つんだな。


なぜこんなに碓氷峠に思い入れがあるのかというと
横川-軽井沢間はかなり特殊な区間であり、
それゆえの魅力が詰まった区間だったからだ。


最大傾斜66.7‰
(1000m進むと66.7m上る勾配、鉄道は30‰でもかなり厳しい)
わずか11キロの距離にして500mもの標高差を克服するため、
その区間を走る列車には例外なく
EF63という特殊装備満載の補機が連結される。
EF63_1




走行速度も30~40キロ程度、台車の空気ばねを抜くため
遅くて乗り心地も振動ガダイレクトに伝わり良いとは言い難い。
でもそんな時代遅れの方式や特殊装備がすごく魅力的だった。
また補機のEF63自体も峠専用機であり、黙々と横川-軽井沢間だけを往復し続けた。
まさに縁の下の力持ちと言え、その特徴のない面構えは山男らしい機能美とも言える
EF63_2




その区間の魅力に取り付かれた人は非常に多く
廃止が迫る97年春休みあたりから碓氷峠には連日鉄ちゃんが集うようになった。
僕も当時中1ながらそんな中の1人。
予想以上の急勾配と沿線の山々の険しさに驚いたことを鮮明に覚えている。
usui_bridge3





そして9年前の今日。(たしか火曜日)
鉄道の廃止としては異常と言える程の14000人のファンが碓氷峠に集結し
テレビカメラも報道に来たほど。
その様子はこの区間の廃止がタダ事ではないことの象徴でもあった。

そして最終あさま37号の出発時にはファンたちの「ありがとう、さようなら」という歓声、拍手、カメラのフラッシュが巻き起こる光景がテレビ中継され、感動的でもあった。
asama37

↑↓もちろん他のサイトからパクってきた画像
asama37-2


碓氷峠以外にも新幹線開通と共に廃止になる特急あさまの走る沿線も地元のプチファンで賑わったらしい。



現在、軽井沢へは新幹線が走り、碓氷峠にも上信越自動車道が通り
そこに峠という難所があったということは認識すらしないだろう。
スノボで信州に向かうとき
深夜に必ず横川が休憩場所になる程度で
普通の人なら何も感じなくなった。

早く快適になり、峠を克服したことに変わりはないのだろうけど、
同時に失ったものが大きかったような気がしてならない
EF63+189asama



しかし今年、碓氷峠に大きな進展があった。
再び碓氷の鉄路に鉄道が走ろうという動きが現実実を帯びてきたのだ。



なんでも法律が変わり、トロッコ程度なら簡単な免許で
路線を開設できるとのこと。

線路は廃止以来、下り線がほぼ手付かずで残っているが
車両は急勾配に対応したものを新造せねばならず、
採算の面を考えてもその課題は決して簡単ではないが
碓氷の鉄路に列車が走ると言うだけで胸が熱くなる。


来年は碓氷峠から鉄道が消えてちょうど10年。
久しぶりに横川でも訪れてみようか
EF63_3







というわけで、約1ヶ月間やりたい放題にやってきたマニアネタも
今日で(おそらく)収束です。

明日からは(おそらく)凡ブログに逆戻り。

まぁもしかしたら引き続きmixiと分断してやりたい放題やるかもな




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